音楽史7「ルネサンス初期」にブルゴーニュ公国やフランドル楽派とG.デュファイを見ましたね。フランドルのはオランダ南部、ベルギー、フランス北部の地域です。今日はそのつづき、ルネサンス中期をみてみましょう。 最初は少し思い出しましょう・・私は音楽史7に書いたこと: ブルゴーニュ公国は1477年にフランス王に敗れて消えました。 しかし、レベル高い音楽は伝統として残っていました。 素晴らしい音楽家たちがこの地域から出ました。 彼らはその後イタリアやフランス、ドイツの宮廷や教会で活躍します。 フランドル出身の音楽家の評判はとても高いでした。 フランドル出身の大事な作曲家がルネサンスの中期や後期にも出てきます。 彼らをフランドル楽派、またはネーデルランド(オランダ)楽派と呼んでいます。 フランドル楽派の音楽家たち ルネサンスの初期のデュファイ(ベルギー出身)の後にもフランドル楽派の音楽家たちがヨーロッパの各地で活躍しました。 重要な音楽家はデュファイの弟子オケゲム(ベルギー出身)です。 そして、オケゲムの弟子のジョスカン・デ・プレ(ベルギー出身)とイザーク(ベルギー出身)です。 彼らが主に初期と同じくミサ曲、モテットや世俗音楽の歌(シャンソン)を作曲しました。 ヨハネス・オケゲム(1420~1497年) ヨハネス・オケゲムはフランドル地方(現在ベルギー)に生まれました。 デュファイの弟子だったという説がありますが・・明らかではないです。 オケゲムは特に宗教音楽(ミサ曲)をたくさん作曲しました。 フランドルの多くの音楽家が南ヨーロッパやドイツへ働きに行きました。 オケゲムも40年もフランス王家の宮廷礼拝堂のメンバーを務めました。 ヨーロッパの北と南の違いを見てみましょう: 北ヨーロッパ(フランドル、ドイツ)の音楽スタイルは北の人の性格や言語を表します: 生真面目、言葉のリズムはなめらか、ポリフォニーの作法 南ヨーロッパ(フランス、イタリア、スペイン) 性格は自由で自発的、言葉に付点のリズムや強いアクセントが多い、ホモフォニーの作法 オケゲムの音楽を聴くと彼が北と南の2つのスタイルをよくブレンドしたように聞こえます。 オケゲムの影響も次の世代に大きいでした。 彼は次の世代の作曲家たちを育ちました。その中に有名なジョスカン・デ・プレやオブレヒトやイザークがいました。 オケゲムのひとつのミサ曲を聴きましょう: ミサ曲 音楽史の記事にミサ曲の話は何回も出ましたね。 ここからミサとその構成や順番を簡単に説明してみたいです。 通常文:カソリック教会に毎週の日曜日に行われる一般的なミサの形は通常文のミサです。 もっと長いミサや毎日修道院で行われるミサや祝う日のミサや人が亡くなったミサがあります。 他の有名なミサ構成はレクイエムです。死者のためのミサです。 有名なのはMozart,Brahms,VerdiやFauréのレクイエムです。 ミサ曲の話になると、形式は通常文のミサの構成を使います。 一般的のミサの構成を見てみましょう。ミサ曲の基本的な構成要素は: Kyrie『キリエ』(求憐誦) Gloria『グローリア』(栄光頌、天には神に栄光) Credo『クレド』(信経、信仰宣言) Sanctus『サンクトゥス』(三聖頌、感謝の賛歌) Benedictus『ベネディクトゥス』(祝福があるように) Agnus Dei『アニュス・デイ』(神羔頌、神の小羊)の6曲である。 どのような場合にも必ず同じ典礼文を使います。 これら6曲をすべて備えたものを通作ミサ曲と呼びます。 『クレド』(信経、信仰宣言)を含まないものをミサ・ブレヴィス(小ミサ)と呼ぶ。 中世では、この他に『イテ・ミサ・エスト』(終わりの言葉、ミサの散会)も作曲された例がある。(ギョーム・ド・マショー) シャンソン フランス王家の宮廷に世俗音楽の歌(シャンソン)も人気がありました! 多くのフランドルの作曲家がシャンソンを作曲しました。 「オデカトン」 Harmonice Musices Odhecaton とても大事のは「オデカトン」という歌曲集は1501年にイタリアのヴェネツィアに出版されました。 この曲集は今でもよく使われています!ルネサンスの音楽には大事な楽譜です。 印刷された楽譜集としては最古のものです。 この中に色んな作曲家の歌が載っています。(オケゲムやジョスカン・デ・プレやオブレヒトやイザークなど) ペトルッチ(Petrucci )という人の出版社が最新技術を使って印刷をしました。 いくつかのシャンソンを見てみましょう。 ヨハネス・オケゲム「マ・ブーシュ・リット」 オデカトンの歌曲集からの54番の曲です。 曲のタイトルは Ma bouche rit et ma pensée pleure(仏)日本語に訳すと:私の口は笑うが心が泣きます。 私は3つの演奏をつなげてビデオを作りました。楽譜を見ると、この曲は3声ですね。 しかし、演奏法には決まりがないです。 3人で無伴奏に歌ってもいいですが、3つの楽器(例えばレコーダー3本)歌なしでも演奏できます。 それか、歌と楽器の組み合わせでもいいです! そして歌詞のこと・・どこの音に合わせて歌うか、それも決まりがないです。 当時に、印刷の技術で音符と言葉を楽譜上にぴったりに合わせて印刷の技術がなかったです。(上の写真) 次の録音を聴きますと、それぞれの歌手が違ったタイミングで歌います。(ビデオに写っているのは現代の楽譜です) 例えば:4つの音の下に「わたし」と書いてあると:わーたし、わたーし、わたしーを歌うことできます。 演奏1は一人の歌と伴奏 2分35秒 演奏2は二人の歌と伴奏 5分10秒 演奏3は三人の歌ー無伴奏です。 ハインリヒ・イザーク(1450年頃~1517年) オケゲムのひとりの弟子はベルギー生まれのイザークという作曲家です。フランドル楽派の作曲家です。 フランドル生まれですが、イタリア、フィレンツェのメディチ家の音楽家として活躍した後、ウィーンの神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の宮廷作曲家を務めました。彼は特にミサ曲、モテト、シャンソン(フランス語の歌詞)、リート(ドイツ語の歌詞)を作曲しました。 イザークの音楽のスタイルや香りは国際的と言われています。 ベルギー生まれですが、彼の作品にイタリアやドイツの影響が強いです。 次のリートはドイツ語の歌ですが、スタイルはイタリアからの影響が聞こえます。 彼の縦の和声、ホモフォニーの書き方はバロック時代のコラールにも影響を与えていました。J.S.バッハがこのリートの旋律を使ってコラールも書きました! ♪イザーク《インスブルックよ、さようなら》(1485年) 私はイザークの音楽はとても聴きやすくて美しいと思います! ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世のために作曲したモテットも聞きましょう。 縦の和声は綺麗です。 Virgo prudentissima(1507年) ジョスカン・デ・プレ(1450/55年頃~1521年) ベルギー ジョスカン・デ・プレはルネサンスのフランドル楽派最大の作曲家といわれています! ルネサンス音楽の3人の代表作曲家のひとりです。(他:ギヨーム・デュファイとジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ) 彼が与えた影響はとても大きくて、ルネサンス美術の巨匠ミケランジェロと言われて、高く評価されています。 「ジョスカンは音符の主である。他の作曲家は音符の指図に従うが、ジョスカンの場合は、音符が彼の望み通りに表現しなければならない」と言われました。 ベルギー生まれですが、ミラノの宮廷礼拝堂の音楽家、同じくミラノ枢機卿アスカニオ・スフォルツァの音楽家、ローマの教皇礼拝堂の聖歌隊歌手、フランス国王ルイ12世の宮廷音楽家、イタリアのフェラーラの礼拝堂楽長、エノー伯領内のノートルダム大聖堂の司祭兼作曲家などを務めていました。 18のミサ曲や90曲を超えるモテットの他、フランス語で書かれた世俗のシャンソンなどがあります。 ジョスカンの音楽の特徴は、響きの美しさと洗練された表現の丁度いいバランスだと思います。 彼の旋律はとても美しいです。ほかの作曲家と違います!声部のバランスは複雑ですが、いつも透明感があるように聞こえます。 また、歌詞と音楽の見事な相性は素晴らしいです。ヒューマニズムの影響で歌詞をはっきりに伝えられる音楽になっています。言葉の意味と感情を上手く音楽で表現できる作曲家でした! ♪ジョスカン・デ・プレ 4声のモテト《アヴェ・マリア》 ジョスカン・デ・プレの美しいシャンソン「千々の悲しみ」Mille Regretzも聞きましょう。 「はかれしれぬ悲しさ」の訳もあります。 この歌をピアノで弾くのもいいですよ!楽譜のPDFはこちら もう少し聴きたいですか? 最後にもうひとりの大事な作曲家:ヤーコプ・オブレヒト (1457年ー1505年)です。 彼もベルギー生まれ、オケゲムの弟子です。15世紀後半らしい豊かなポリフォニーのスタイルです。 ミサ曲《武装せる人》Missa L'homme arméより「キリエ」