この記事にはカンタータを見てみましょう。 カンタータはイタリア語 ” Cantata”、ドイツ語 ” Kantate ”、日本語「交声曲」と呼ばれています。 Cantataは動詞Cantare=歌うから由来して、「歌われるもの」を意味します。 バロック後期のバッハのカンタータは一番よく知られてカンタータです。バッハが295曲のカンタータも作曲しました。 バッハのカンタータとは、①ソロの歌(独唱)、②コーラス(合唱)、③通奏低音の伴奏(オルガン、チェンバロ、リュート、テオルボなど)と④オーケストラのための曲です。 バッハのカンタータはこのジャンルの最高峰になります。 でも、最初はカンタータの歴史を見てみましょう。特に3人の作曲家を集中しましょう。 バロック初期のカリッシミ・・中期のブクステフーデ・・後期のバッハの3人の作曲家のカンタータを紹介します。 カンタータは17世紀に生まれました。 楽器のみのバロックソナタを以前の記事に見ましたね。🔗音楽史18「室内楽」 カンタータはバロックソナタと区別できるために考えられた歌曲です。 バロック後期と違って、バロック初期の17世紀の前期のカンタータはもう少しシンプル①1~3声の歌と②楽器の伴奏だけの曲でした。 カンタータはミニオペラだと思ってください。オペラと同じようにカンタータもマドリガーレから生まれました。 オペラと同じく「レチタティーヴォ」と「アリア」があります。 ★レチタティーヴォには歌手が物語について客観的に語っています。 ★アリアには歌手が主情的に感情を歌っています。 オペラについての記事をもう一度見てください。🔗音楽史16「オペラ」 ● 室内カンタータ カンタータはオペラような曲ですが、室内で演奏される室内楽です。 このようなカンタータは室内カンタータ「cantata da camera」と呼ばれます。Camera=室や部屋の意味です。 室内カンタータの歌詞は世俗的な歌詞です。聖書から取った宗教的の歌詞は教会カンタータと呼んで、もう少し後で紹介します。 ジャコモ・カリッシミ ジャーコモ・カリッシミ(Giacomo Carissimi 1605年 - 1674年)はバロック初期のイタリアの作曲家です。彼は室内カンタータとレチタティーヴォを発展させた大事な作曲家です。 カリッシミは「ローマ楽派」の作曲家でした。ローマ楽派はジョスカン・デ・プレ、ヤーコプ・オブレヒトなどのイタリアで活動したフランドル楽派の作曲家たちとフランドル楽派のポリフォニーの影響でイタリア独自の音楽のスタイルを作り出した楽派です。ローマ楽派は少し保守的で宗教音楽に集中していました。同じ時期のヴェネツィア楽派の作曲家たちは協奏曲やオペラに集中していました。 ジャーコモ・カリッシミから2つの室内カンタータを聴きましょう。 ★ 泣け、そよ風よ、泣け ” Piangete, aure, piangete " (ソプラノと通奏低音のためのカンタータ) ★ 高き舟端より舟綱を解き " Sciolto havean dall'alte sponde " (2人のソプラノ、バリトン、通奏低音のためのカンタータ、1653年) 特に(11'35)のレチタティーヴォの後(12'50)のアリア「 Amanti, che dite?」を聴きましょう。 ● 教会カンタータ 先ほどの室内カンタータと違って、教会カンタータは聖書から取った「聖句」宗教的の歌詞を使います。 教会カンタータはイタリア語:cantata da chiesa、ドイツ語:geistliche Konzerte , Kirchenkantate、英語: church cantataと呼びます。 教会カンタータは特にドイツで人気がありました。ルター教やプロテスタント教の礼拝用に書かれた音楽です。 カンタータの題名は一般的に歌詞の最初の文章から取った題名になります。 ディートリヒ・ブクステフーデ (Dieterich Buxtehude , 1637年 - 1707年) ブクステフーデはバロック中期のドイツとデンマークの作曲家です。彼はオルガン曲の作曲家としても有名です。特に自由と即興的なスタイルは魅了的で、多くの作曲家に影響を与えました。 ブクステフーデはJSバッハに尊敬されて、バッハがブクステフーデの情熱的なオルガン演奏を聴くために1705年の冬に仕事の休暇を無断に延長して400キロを歩いて(!)リューベックに行ったの話は有名です。もう1つの有名の逸話はブクステフーデが退職した時にバッハもヘンデルもブクステフーデの職を欲しかったが・・・・ブクステフーデの30歳の娘との結婚が条件だったのでふたりが興味を失った・・・話もあります。 ★ カンタータ「我はこの世を去りて」BuxWV 47 - " Ich habe Lust abzuscheiden " ★ カンタータ「来たれと天使に告げて言え」BuxWV 10 - " Befiehl dem Engel, daß er kommt " 1674年に父の死のお葬式ためにブクステフーデ が作曲した美しくて感動的なエレジーも聴きましょう。 ★ カンタータ「平安と喜びに満ち逝かん」より アリア・悲歌「それでもなお死は逃れられないのか」 Cantata Klaglied ''Muß der Tod denn auch entbinden'' BuxWV76 コラール(独:Choral) コラールは、ドイツ・プロテスタント教会,特にルター派教会で全会衆によって歌われるための賛美歌です。 前の記事🔗音楽史11「ルネサンス後期-宗教音楽」の中にコラールについて書きました。 ●16世紀にカトリック対プロテスタントの宗教改革がありました。カトリック教のミサで会衆が参加することは少ないですが、プロテスタントの教会に集る信者がみずからが歌えることは目的でした。 カトリック教のミサで歌われる讃美歌の歌詞は誰も理解を出来ない難しいラテン語の歌詞でした。 しかし、プロテスタント教の讃美歌のはルターによって作られた自国語のドイツ語の歌詞と単純な旋律で出来ています。どんな教会員でも簡単に歌えるように作られていました。 この単旋律はコラール、または讃美歌と呼びます。コラールのメロディーは、元は民謡・流行りの歌、カトリックの聖歌、ルターが作曲した歌など・・・様々ですが、とにかく最初は単旋律で、簡単に歌えるものでした。 ●17世紀には単旋律が和声が付けられて四声体の形へ変わりました。 現在プロテスタントの教会などでよく見かける讃美歌の四声でリズムが揃った形は、17世紀初頭頃からです。 教会カンタータにはオーケストラの伴奏によるレチタティーヴォとアリアが交互に進行します。 ●18世紀前半のドイツでは、コラールを取り入れた教会カンタータの形になりました。 当時に演奏されたカンタータの中のコラールの部分は教会に集まった会衆みんなが一緒に歌うところでした。 J.S.バッハはライプツィヒ時代に毎週のように教会カンタータを約5年分295曲を作曲していたが、現在残っているのは約4年分のおよそ200曲です。もう十分にカンタータを作曲しましたので、その後にバッハが毎週のミサに以前に作曲したカンタータを再使用していました。 バッハのカンタータの長さは一般的に20~25分くらいで、ミサの中に演奏されます。バッハのカンタータはいくつかの楽章で出来ています。それぞれのカンタータは日曜日のミサや祭日のミサの内容・テーマ(教会の典礼暦)に合わせて作曲されていました。 教会の典礼暦 教会の典礼暦は教会のカレンダーです。 一年のスケジュールとそれぞれの祝う日のテーマが決まっています。 例えば、3月は四旬節:灰の水曜日から始まります。聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサの直前まで。 灰の水曜日:復活の主日の46日前の水曜日・・聖ヨセフ:3月19日・・神のお告げ:3月25日・・受難の主日(枝の主日) 復活の主日の1週間前の日曜日。聖なる過越の3日間:聖木曜日・ 聖土曜日・ 復活の主日・・・ 三位一体の主日、キリストの聖体、イエスのみ心、洗礼者聖ヨハネの誕生、聖ペトロ・聖パウロ使徒、主の変容、聖母の被昇天、十字架称賛、諸聖人、死者の日など・・・ ウィキペディアのページ「バッハのカンタータ一覧」があります:https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Bach_cantatas ここではバッハの全てのカンタータについて様々な情報を調べることが出来ます。 日本語の個人のサイトもあります: 教会カンタータ一覧表:http://www.kantate.info/bachcantata.htm バッハの一番有名のカンタータを少し詳しく見てみましょう。 ★ J.S.バッハ カンタータ第140番『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』 (別の題名:目覚めよと呼ぶ声が聞こえ) " Wachet auf, ruft uns die Stimme " BWV140 コラール・カンタータ この曲はコラールカンタータです。コラールを使ったカンタータはコラール・カンタータと呼びます。 三位一体節後第27日曜日の作品として1731年に作曲されました。 元の讃美歌はフィリップ・ニコライ が1599年に書きました。バッハはニコライの讃美歌を使ってこのカンタータを作曲しました。讃美歌を第1曲、第4曲、第7曲に使っています。 ニコライはこの讃美歌を聖書のマタイ伝第25章1から13節『賢い娘たち』から作りました。🔗『賢い娘たち』の説明はこちらへ→ 構成 カンタータ第140番は7曲から出来ています。 第1曲 コラール 「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」 弦とオーボエの付点リズムで目を覚めます。コラール旋律がソプラノに現れる。ミーソーシが天国へ上がる。最後のハレルヤはフーガ風。 第2曲 レチタティーヴォ (7:50) 「彼は来る、まことに来る」 イエスの姿を伝えるテノールの語り。婚礼の祝宴を前に、再び「目覚めよ」の声が発せられる。 第3曲 デュエット (二重唱)(8:51) 「 いつ来ますや、わが救いのきみ?」 魂(ソプラノ)とイエス(バス)の二重唱、遅いシチリアーノ 風、小さいヴィオリーノ・ピッコロが灯火の炎を表しています。 第4曲 コラール (15:06) 「シオンは物見らの歌うの聞けり」 テノールがコラール定旋律(カントゥス・フィルムス)を歌う、ユニゾンの弦は嫁たちが踊るようにイエスへ向かう。バッハがこれをオルガンの為に編曲した:BWV 645 第5曲 レチタティーヴォ (19:26) 「さらばわがもとへ入れ」 花嫁が登場し、イエスに擬せられたバスが「永遠の契り」を宣告する。 第6曲 デュエット (二重唱)(20:51) 「 わが愛するものはわが属となれり」 再び魂とイエスとの二重唱です。軽やかに浮かれ立つようなオーボエ・オブリガート付きの明朗な音楽が繰り広げられる。 (オブリガートの意味は義務付けです。この旋律は略したり、変更したり出来なくて必ず書いた通りに弾かなければならないです) 第7曲 コラール (26:19) 「グローリアの頌め歌、汝に上がれ」 ニコライの讃美歌を4声のコラールです。グロリアは神の栄光を称える賛歌です。当時に教会の全会衆によって歌われた。