この記事にルネサンス音楽の後期を見てみましょう。1520年から1600年の時期だと考えてください。 ルネサンスの後期の長さ(80年間)と内容はとても大きいですので、3つの記事に分けたいと思います。 世俗音楽:シャンソンとマドリガーレ 宗教音楽と宗教改革について 器楽の音楽:リュートやチェンバロの曲 今日は世俗音楽:シャンソンとマドリガーレを見てみましょう。 先ずは以前の記事の内容を少し思い出してから後期の作曲家も見てみましょう: ルネサンス音楽の初期 ★第1世代:デュファイ(ベルギー1400年頃 – 1474年)フォーブルドンの和声の進行は美しいです。 ルネサンス音楽の中期 ★第2世代:デュファイの弟子オケゲム(ベルギー1420年~1497年)北と南のスタイルを合わせた美しいミサ曲。 ★第3世代:オケゲムの弟子ジョスカン・デ・プレ(ベルギー1455年頃~1521年)中期の代表。美しい旋律と透明感があるモテット。 ルネサンス音楽の後期 ★第4世代:ヴィラールト( ベルギー1490年~1562年) ★第5世代:オルランド・ディ・ラッソ( ベルギー1532年~1594年)、パレストリーナ( イタリア1529年~1594年) ルネサンス音楽の代表的な作曲家はほとんどフランドル(オランダ南部、ベルギー、フランス北部の地域)の作曲家でしたね。 音楽史7に話した「ブルゴーニュ公国」の強い影響が長く続きました! しかし、音楽の中心はルネサンスの後期からフランドルから貿易でとても裕福になったイタリアに移ります。 イタリアはこれからの200年(バロック時代)も中心の場所になります。 それぞれの国々の独自のスタイル 1520年までフランドル楽派・・フランドルのスタイルがありました。 ヨーロッパのそれぞれの国の作曲家たちがフランドルのスタイル(作曲法)に従って音楽を作りました。 しかし、1520年頃からフランスの独自のスタイルやドイツやスペインやイタリアやイギリスのそれぞれの国の独自のスタイルが見えてきます。フランドルの作曲家がまだ多いですが、彼らがその時に住んで働いている国のスタイルや趣味に合わせて音楽を作ります。 アドリアン・ヴィラールト(Adrian Willaert, 1490年頃 - 1562年)ベルギー出身 ヴィラールトはパリでジョスカン・デ・プレのスタイルを勉強してからイタリアで1515年からずっと最後まで活躍していました。 ヴィラールトの1527年から1562年の逝去までヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長として勤めてヨーロッパの一番影響力が強い作曲家・指導者になりました。ヨーロッパ中の作曲を勉強したい若者がヴェネツィアへヴィラールト先生のレッスンを受けに来ました。 ヴェネツィア楽派と分割合唱 (コーリ・スペッツァーティ Cori Spezzati) 世俗音楽からちょっとだけ宗教音楽に行きましょう・・・ヴィラールトはヴェネツィア楽派を始めた人です。このヴェネツィア楽派の大きな特徴のは「分割合唱様式」です。ヴェネツィアの聖マルコ寺院はとても大きいな教会です!本祭壇の両側には、2つの聖歌隊席があります。それぞれにオルガンが1台も備え付けてあります。 ヴィラールトは合唱団を二つの部分に分け、それぞれの合唱団やオルガンを交代か同時に利用して曲を作りました。 教会の中にこのスタイルを聴くと立体感、ワイドなステレオの効果があります。 ヴィラールトがこの複合唱の方法を最初に有名にした作曲家です。そして、このスタイル・作曲技法はバロックに大きな影響を与えました。この話は次回の宗教音楽の記事にも出ます。 ヴィラールトは歌に歌詞の言葉や意味や感情を音楽で伝えることのは得意でした! 音楽史9にペトルッチ(Petrucci )が最新技術を使って音楽を印刷をした話をしましたね。 実は、ペトルッチ(Ⅰ466-1539)の印刷の工房はヴェネツィアにありました。 音楽史9に:歌詞のこと・・どこの音に合わせて歌うか、それも決まりがない・・音符と言葉を楽譜上にぴったりに合わせる印刷の技術がなかったです。 ヴィラールトにとって歌詞の表現はとても大事でしたので、彼はペトルッチに音符と歌詞をぴったりに合わせる必要があることを強く伝えました。それに答えてペトルッチは音符と歌詞が作曲家が思う通りに印刷を出来るようにしました。 (ところで・・インターネットでよく使う楽譜のデータベース IMSLP の元の名前はペトルッチ楽譜ライブラリーです!) 国々の歌 先ほど話したように1520年頃からフランスやドイツやスペインやイタリアやイギリス・・それぞれの国の独自のスタイルが見えてきます。 この変化を特に歌のジャンルでよく見えます。その国の言葉や表現、旋律、言葉や方言のリズムやアクセントなど・・歌は特にその国のキャラクターを表します。このジャンルですが、歌われる歌はとても貴族的で洗練された音楽です。町の広場で歌う庶民的の歌ではありません。貴族や上流階級のための歌です。 いくつかの国とその歌見てみましょう: イタリア:フロットラ(Frottola=おしゃべりの意味)4声か1声と伴奏、ホモフォニーの作曲技法 フランス:シャンソン 軽やかに、速い、リズミカル、ホモフォニー、愛や自然や闘いのテーマ ドイツ:リート フランドルの影響が強い、ポリフォニーのスタイル、旋律はミンネジンガーから(音楽史4) スペイン:ビリャンシーコ フランドルとフロットラの影響 イギリス:ソング 英国にフランドルの影響が元々少ない。ポリフォニーも少ない、旋律的とメリスマ(音楽史3)が多い。 ★ 5人の作曲家の曲を聴きましょう: 1. イタリア:バルトロメオ・トロンボンチーノ(Bartolomeo Tromboncino, 1470年 - 1535年) 2. フランス:クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, 1485年 – 1558年)ビデオ:3'25 3. ドイツ:ルートヴィヒ・ゼンフル(Ludwig Senfl, 1486年 - 1543年)ビデオ:9'32 4. スペイン:フアン・デル・エンシーナ(Juan del Encina, 1469年 - 1533年)ビデオ:12'28 5. イギリス:トマス・ウィールクス(Thomas Weelkes, 1576年 - 1623年)ビデオ:14'57 Word painting ルネサンス音楽からよく使われるのは:Word painting。音楽の歌詞の言葉を文字通りに音楽で表現することです。 例えば、「山」の言葉に高い音、「谷」に低い音を書きます。「悲しみ」を下がる半音で表す、「死亡」を連打(死神がドアに叩く)で表現します。他に自然の音も色々あります:鳥や風や水を音楽で表すときにもWord paintingと呼びます。 マドリガーレ 16世紀にマドリガーレはルネサンスの代表的な音楽様式(歌曲形式)になります。マドリガーレはイタリアのオペラの始まり・先駆です。 マドリガーレは詩を歌で表現する音楽の様式です。この詩は歌の歌詞になっていますが、有名な詩人の詩が使われる。特にペトラルカの詩がよく使われます。ペトラルカの話は前の音楽史の記事に何度も出ましたね。詩の内容は愛や失恋や苦しみなどの真面目な内容です。マドリガーレのルーツはイタリアのフロットラにあります。フロットラから現れた形式と言われます。フロットラのように、豊かな感情を表現することは作曲家に大事なことですが、しかし少し軽いフロットラよりマドリガーレの方はもっとシリアスです。 感情表現のために半音や不協和音がよく使われます。複雑なポリフォニーやホモフォニーが同時に使われます。Word paintingもよく使われます!マドリガーレは当時に一番モダンなアバンギャルド音楽でした。ルネサンスの現代音楽でした。このジャンルに新しい表現や不協和音や転調など色々の新しい実験ができる様式でした。 マドリガーレは元々4声無伴奏ですが、1550年から5声から10声までになります。17世紀のマドリガーレに伴奏も付けられます。 16世紀の代表的な作曲家としては、 16世紀初期のアドリアン・ヴィラールト(ベルギー)『ムジカ・ノヴァ』マドリガーレ集~ペトラルカの詩によるマドリガーレ集 16世紀中期のチプリアーノ・デ・ローレ(ベルギー)、オルランド・ディ・ラッソ(ベルギー) 16世紀後期のカルロ・ジェズアルド(イタリア)、クラウディオ・モンテヴェルディ(イタリア) オルランド・ディ・ラッソ オルランド・ディ・ラッソのDatemi Pace( 私にに安らぎを、ペトラルカのソネット274番)のマドリガーレを聴きましょう: 歌詞はペトラルカのソネット274番です:愛、失恋、痛みと自分の気持ち・心に裏切られた事についた歌詞です。 3か所を少し集中しましょう: Et tu, mio cor(0'55秒)そしてあなた、私の心?変わっていないか?また私を裏切ったか? 主人公が愛や金銭や死の色々の問題で安らぎを求めていますが・・自分の心に裏切られたのはなぜ?? こ作曲家が主人公の悩みと心にの質問を音楽でどんなように表現していますか? sí pronti et leggieri(1'35秒)こんなにすぐに簡単に 私の色々の敵(愛、金銭、死)とすぐに簡単に仲間になったのはどうして? 作曲家がすぐに簡単にの歌詞を速いと軽い音符で表現しています。 et Morte(2'00秒)そして、死 作曲家が死をどんなように音楽で表していますか? このマドリガーレを聴きますと作曲家が歌詞を音楽で表現していますね。表現力はルネサンスの最大の目標でした。 作曲家たちが表現のために色々の不協和音や音程や転調やWord paintingを使っています。 歌やマドリガーレを楽しむために歌詞や文学を理解が必要です。 この新しい作法で新しくてモダーンの音楽が出来ました。150年の前の音楽と比べると大きな変化を感じますね。 クラウディオ・モンテヴェルディ クラウディオ・モンテヴェルディはマドリガーレの達人です! 表現力やテンション・緊張感の作り方やフレーズ感など、とても素晴らしい作曲家です。 マドリガーレに愛や悲しみのほかに女性の美しさや官能的なフィーリングも大事なテーマになっています。 音楽史8に自然主義の影響で人間の体や女性の美しさに興味が増えたことを話しました。 絵だけではなく、音楽にもその影響が見えます。 以下のマドリガーレを聴いて、歌詞の表現を考えましょう。 クラウディオ・モンテヴェルディ そうだ 私は死んでしまいたい (マドリガーレ集第4巻)、詩: モーロ もう1つのマドリガーレを聴きましょう。 クラウディオ・モンテヴェルディ ああ! つらい別れよ (マドリガーレ集第4巻)、詩: モーロ ルネサンス期ーバロック時代 クラウディオ・モンテヴェルディはルネサンス後期とバロック初期の作曲家です。 今回のマドリガーレはルネサンスの曲として考えるといいです。 モンテヴェルディはオペラも作曲しました。彼のオペラはバロック音楽として考えてください。 もう少し勉強したい マドリガーレを聴くのはとても楽しいことです! 素晴らしい文学(詩)は美しい音楽で表現されています。 言葉の意味が曲の中に聴こえます。そして、強い表現はとても魅力的です。 しかし、歌詞を理解することは必要です! 以下にモンテヴェルディのマドリガーレを日本語訳のサイトへのリンクです。 もう少し勉強をしたい方は是非見てください。 日本語訳のサイト: モンテヴェルディ Claudio Monteverdi (biglobe.ne.jp)