前の記事にルネサンスの初期について書きました。今日はルネサンスの背景をもう少し見ましょう。 難しい内容ですが、できるだけ簡単と必要なことだけを書きたいと思いますので 頑張って最後まで読んでください。 新しい風 15世紀のヨーロッパの人々が暗い中世に疲れてきました。いくつかの理由は: ★ 中世には伝染病(ペスト・黒死病)でヨーロッパの人口の6割の人が死亡しました。 ★ キリスト教の中に派閥争い(教会大分裂)がありました。 ★ 国や貴族の間の戦争や戦い(例えば百年戦争)がたくさんありました。 ★ キリスト教の厳しい教義(ドグマ)がたくさんありました。 ★ 多くの人が貧しくて、治安も悪いでした。 でも、この暗い中世の後に新しくて前向きな風が吹きました。 音楽史6「トレチェント」に文学の話がありましたね。リンク ペトラルカという文学者についても書きました。 トレチェントはイタリアの14世紀、中世の後期です。 人々の毎日の生活に色々の不満がありました。楽しく生きることや人を愛することはキリスト教にあんまり良く思われなかったです。神様は中心だと強いプレッシャーがありました。 ★ 人が神様のために生きること・・ ★ 愛するのは神様だけ・・ ★ 楽しく生きるより、人生を苦しめば天国に行ける・・ 古典ギリシャやローマの文化の人の生活を見ると彼らがもっと自由に、もっと楽しくて生きていた。教会の厳しいドグマも無くて、学者が中世には止まった学問(数学や哲学や天文学など)の研究していました。彼らが宇宙、地球、人間を理解したい好奇心がありました。それに比べて中世の人が少し受け身になりました。古典ギリシャやの生き方や道徳に感動をして、ペトラルカが書いた作品で古代ギリシャやローマの文化をみんなに興味を持たせました。 トレチェントのペトラルカが新しい風を吹かせはじめた。 ヒューマニズム(人文主義) ルネサンスに古代ギリシャやローマの文化の人の生き方を研究をすることがひとつの動き・哲学になりました。それが「ヒューマニズム」(人文主義)です。 ルネサンスにはオランダの人文主義者エラスムス(写真)はヒューマニズムの一番代表的な学者でした。彼はキリスト教を否定しないで、人間中心主義、生き方、生活様式を古典を見て研究をした人文主義者(ヒューマニスト)でした。 ルネサンスには人がもっと楽しく生きてもいい動きが始まりました。 同時にキリスト教の信仰がだんだん弱くなりました。これから: ★ 神様ではなく、人間が宇宙の中心になります ★ 人間は罪を起こす人ではなくて、人間は根本的にいい人です ★ 人間は賢くて頭がいいです、好奇心を持って生きて欲しいです 人間の行動、人の関係、愛、道徳ようなことがルネサンスの作家の作品にもテーマになっています。 ルネサンス有名な作家は例えば、シェイクスピアやマキャヴェッリです。そして、彼らの劇や芝居のルーツも古典ギリシャです。 好奇心も大事なキーワードです。 受け身に生きていた中世の人と違って、ルネサンスの人が好奇心を持って自分の環境(地球や宇宙)を積極的に理解やコントロールをしたいです。 そして、その新しい考え方代表はやっぱり レオナルド・ダ・ヴィンチです。 この好奇心の影響でヨーロッパの人が海外へ探検に行ったり、 新しい物を発明したり、新しい芸術を作ったりすることになりました。 ルネサンスから航海技術の影響でヨーロッパの人が世界へ回って 海外貿易や多くの征服(コロンブスによるアメリカ大陸の発見 1492年)が始まりました。 芸術 海外貿易のお陰でイタリアの貴族や上流階級や上位中流階級が経済発展でとても豊かになりました。 多分だれでも聞いたことがある一番有名なファミリーのはイタリアのフィレンツェでのメディチ家です。 このメディチ家はとてもお金持ちになって、彼らが古代ギリシャやローマの古典の研究に投資して、 建築や美術、文学、哲学や社会や政治に大きな影響を与えました。 ルネサンスの美術に古代ギリシャやローマの文化からの影響を見てみましょう: 前の記事 「音楽史7 ルネサンス 初期」の最後に ヤン・ファン・エイクというフランドル派のフランドル人画家の絵を見ましたね。 次の絵の右側のにヤン・ファン・エイクの作品「ヘントの祭壇画」から一部を見てみましょう。 これは アダムとイヴのアダムの絵です。とても現実的やリアルに描かれています。 中世からの絵を見ると若い赤ちゃんのイエスやマリア様が中世らしく描かれています。 赤ちゃんは赤ちゃんらしくないですね。表情は大人っぽいです。マリア様は平面的と無感情・・人形のように見えます。 しかし、真ん中のレオナルド・ダ・ヴィンチのマリア様は美しい女性です。色っぽい雰囲気もあります。 赤ちゃんのイエスは本当に赤ちゃんらしくて、じっとできない十字架で遊んでいる赤ちゃんです。 左:ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ「マエスタ(荘厳の聖母)」1310年(ゴシックとトレチェントの代表イタリアの画家) 中:レオナルド・ダ・ヴィンチ 「糸車の聖母」1500年 右:ヤン・ファン・エイク「ヘントの祭壇画」1430年 左の絵はローマの古典のポンペイ(イタリア南部にあった古代都市)のフレスコ画です。 これは古いですが、とても自然でリアルに見えますね。 ルネサンスには古典の影響で物をもう一度に出来るだけリアルに伝えるスタイルが始まりました。 これは自然主義といいます。 中世の絵画は、キリスト教絵画が中心ででした。 人物は平面的で、無表情な顔つきをしていて彫像のようでした。 また、空間や背景が描かれることは少ないでした。 描かれたとしても、建物は平面的で、人物は宙に浮いたような状態でした。 ルネサンス期になると人物は写実的で情感豊かになりました。 ルネサンス絵画の大きな特徴は「自然主義」にあります。音楽史6「トレチェント」ジョットという画家について書きましたね。これは、その自然主義の始まりでした。リンク 自然主義の影響で人の裸の絵や彫刻が多くなっています。 中世の厳しいキリスト教にはヌードが難しいでした。 次に4つの彫刻を見てみましょう。 ルネサンスに古典ギリシャからの影響をよくわかりますね。そして、中世とのコントラストもよく見てください。 古典ギリシャの彫刻はベルヴェデーレのアポロンです。紀元前330年頃 中世の彫刻のはドイツ1420年ごろの作品 ルネサンスのは左:ダヴィデ像 (ドナテッロ)1440年と右:ダビデ像 (ミケランジェロ)1504年 絵画に遠近法のも出ました。遠近法は、立体的で自然に見える技術です。 左:ウゴリーノ・ダ・シエナ「最後の晩餐」1325年 右:イタリアのラファエロの「アテナイの学堂」1509年 もう1つのルネサンスの面白い特徴のは「感情表現」です。 前に書いたように、中世はキリスト教が強い力を持っていたため、神や教会が中心の世界でした。ルネサンスでは、人間が中心であった古代ギリシアやローマを規範として、ヒューマニズムを取り戻そうとしました。 絵画においてヒューマニズムは、人物の「感情表現」に現れます。 中世絵画の人物は決まったポーズをとり、表情はなく、みな同じような顔で描かれています。一方、ルネサンス絵画では、人物はそれぞれ違った顔を持ち、表情や仕草で内面の感情を表出するようになりました。 左の絵画:ボッティチェッリ プリマヴェーラ 1482年 建築も古代ギリシャらしい建物を作られました。 右:建築家レオン・バッティスタ・アルベルティが作ったマントヴァのサンタンドレア教会です。1494年 音楽 ルネサンス音楽がどんなように影響を受けたでしょうか?それを見てみましょう。 音楽史1の記事に私は音楽のルーツについて少し書きました。 ”音楽は必ず何かの役割があります:喜びを伝えたい、慰めてほしい、怖いから守って欲しい、霊を追い出すため・・神様に畑に必要の雨を願いするときに・・色々考えられますね。特に古代ギリシアの哲学者たちがその音楽の役割についてよく考えました。” 古典ギリシャの学者が音楽の表現について色々考えていました。彼らが音楽は感動させる力があると気づきました。 しかし、ある音楽を聞かせると人が優しくなる・・・別の音楽を聞かせると人が攻撃的になる・・・ 彼らがそんな感動を理解しようとしていました。なぜこの音楽を聴くと元気になるか・・怒りがでるか? 彼らが見つけたのは調性や音階や音程や協和音か不協和音によって感情表現が変わりますということ。 ピタゴラスが数学を使って音の周波数やそれぞれの音程を見つけました。これは音楽には大事な発見でした! 先ほどにヒューマニズムや感情表現を見ましたね。 人間は中心になる・・喜びや愛や色々の気持ちを表現できること 古典ギリシャの音楽家とルネサンスの画家や哲学者のようにルネサンスの音楽家たちも 音楽で感情表現をしたいと思っていました。 ルネサンスの音楽の1つの特徴は感情表現です。 先ほど「自然主義」の芸術を見ましたね。 音楽家も音楽をより自然に書きたいと思っていました。 音楽史5「アルス・ノーヴァ」にイソ・リズムを覚えていますか? イソ・リズムは旋律とリズムのパターンを組み合わせて繰り返す技法のことです。 よく考えて作った作法ですが・・音楽はあんまり自然に聞えないです! でも、自然に書くのは中世の音楽家の目標ではなかったですよ。 イソリズムのはカオスの中にコントロールされた世界を作ることです。(神様が地球をコントロールすると同じ) ルネサンスの音楽家がより自然や分かりやすいの音楽を作る方法を考えました: ★ リズムをもっと自然に流れるように。(イソリズムと正反対です) ★ 文学からの影響でメロディが語るように、文章のようにフレーズやアクセントを作る(中世のメリスマと違う) ★ 遠近法のように和声を裏に、メロディを表にホモフォニー音楽がでもっと立体的に書く ★ 古典ギリシャの学者が見つけた音程や和声を利用して協和音や不協和音を作る ルネサンスの中期から中心はイタリアになります。 イタリアの教会や貴族が特にフランダース出身(フランドル楽派)の作曲家を利用します。 大きな大聖堂には前より大きな合唱団と大きなオルガンの音楽はもっと大きくなります。 そして、1450年ごろにグーテンベルクが金属活字と印刷機による新しい印刷技術を開発しました。 この時まで楽譜は全部手書きでしたが、楽譜の印刷のお陰で新しい音楽がすぐヨーロッパ中に広がりました。 これで音楽の進歩がだんだん早くなりました! 最後に ドイツのルターがローマ・カトリック教会に対して起こした宗教改革(1517年以後)もとても大きな出来事でした。 音楽にも大きな影響を与えました。 これは、別のときにまた説明します。