音楽史では14世紀を「アルス・ノーヴァ」と呼びます。大体1320年ー1400年の時期です。アルス・ノーヴァを直訳しますと「新しい芸術」のことです。 音楽史3の記事に1100年から1300年までのアルス・アンティカ「古い芸術」をみましたね。アルス・ノーヴァはその後の時代です。アルス・アンティカの続きです。私は大学の時に音楽史の授業でアルス・ノーヴァについてもちろん勉強しました。アルス・ノーヴァだけ半年ぐらいかかった授業でした。しかし、私は今回なるべく短く簡単に説明したいと思います。少し難しいところもありますが、頑張って最後まで読んでください。音源のビデオも是非聴いてください。 アルス・ノーヴァを説明する前に、最初にその背景を少し見てみましょう。 14世紀のヨーロッパはとても暗い世紀でした。 いくつか理由があります: ★フランスとイギリスの100年戦争(1337年-1453年)がありました。あの有名のジャンヌ・ダルクが戦った戦争だったね。皆さんが学校の歴史で学びましたか?フランスとイギリスの王様や貴族たちの長い争いでした。ジャンヌ・ダルクがフランスの王様を助けてあげたが、彼に裏切られて彼女は裁判で火あぶりの刑で亡くなりました。 ★感染病のペストでヨーロッパの4分の1の人口が亡くなった世紀でした。 ★地球寒冷化で飢饉も貧困も多くありました。 ★キリスト教の組織内に色々の権力闘争がありました。 ★貴族の色々の争い・戦争の費用を払うために庶民の税金が段々高くなりました。 やっぱり多くの人の生活はとても大変でした。暗い時期ですが、とても明るくなるルネサンスの一歩前です。 アルス・ノーヴァ音楽の色々の特徴をみてみましょう。 イソ・リズム これはアルス・ノーヴァの一番大きなことです!新しい作曲技法が生れました。イソ・リズムです。 イソ・リズムは旋律とリズムのパターンを組み合わせて繰り返す技法のことです。一つのメロディを何回も繰り返します。一つのリズムのパターンも何度も繰り返します。メロディとリズムの長さが違った場合、メロディが毎回違ったリズムで出て来ます。詳しくここで説明しませんですが、とても複雑の音楽になります。作曲家がシンコペーションもたくさん使います。歌うのはとても難しいですよ!ほとんど現代音楽ような作法です。この作法がアルス・ノーヴァのモテットによく使われていました。イソリズムのモテットのはアルス・ノーヴァの代表音楽です。 イソリズムのモテットを少し聴きましょう。 リズム 今までの音楽は3拍子だけでしたね。 アルス・ノーヴァの曲に2拍子系(2拍子や4拍子)のリズムに作曲されるようになりました。 音符の長さ:今までの音符に2つが増えます:ロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィスに、ミニマとセミ・ミニマが加わり、より複雑なリズムが表記できるようになりました。 和声や調性やポリフォニー 導音や半音がアルス・ノーヴァの曲によく使われるようになります。 導音(どうおん)(独: Leitton)は音階の主音から短2度(半音)下の音第7度音です。これで音楽が少し短調や長調っぽく聞こえてきます。 代表作曲家 フィリップ ド・ヴィトリ (1291年-1364年) 科学者・作曲家・詩人・作家 ギョーム・ド・マショー(1300年頃~1377年)作曲家・詩人・作家 フランスのアルス・ノーヴァの代表的な作曲家です。 マショーからのモテト、ヴィルレ(33曲)、ロンド(21曲)、バラード(42曲)などの世俗曲やミサ曲などが残されています。音楽史上重要なのは、1340年にランス(Reims)のノートルダム大聖堂のために作曲されたノートルダムのミサ曲(聖母のミサ曲)です。 学校で歴史でランスの大聖堂も勉強しましたか? フランスの全ての王様たちがランス大聖堂で戴冠されました。そのためにジャンヌ・ダルクが戦いました。 多声に作曲した最初期の作品の一つなのです。曲は4つの声部を持ち、イソ・リズムの技法が用いられています。 マショーから色々聴きましょう: ★ ヴィルレ、ロンド、バラード ★ モテット ★ ノートルダムのミサ曲(聖母のミサ曲)より 次回 イタリアではこの時代のはトレチェントと呼びます。 中心はミラノ、フィレンツェやヴェローナ(ロメオとジュリエットの町)です。 代表作曲家はフランチェスコ・ランディーニ です。 フランスと同じ特徴を持っていますが、イタリアの音楽は私にもう少し自然に聞こえます。 フランスのアルス・ノーヴァ音楽はちょっと無理に作った・考えた音楽だと私が感じます。 少し難しく聞こえます・・・ やっぱりアルス・ノーヴァ後に音楽や芸術の中心はパリからイタリアに移ります。 次回はトレチェントについて勉強しましょう。